円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

自分で気づく

家庭や心の問題などで非常にストレスを抱えこみ、その昇華の仕方や吐き出し方がわからない子供たちがいます。
自分の思い通りにならないことが起こった時、どういうふうに心をコントロールするか教えてもらう機会がない。
学校生活全体の中で、運動をちゃんとやらせるとか、気持ちが晴れてストレスを緩和できる教育の仕組みというのがあると私は信じているのですけれど……。
問題を抱えている子を救い、上手に支えるようなシステムが、今は機能していないのか、あるいは先生がそこまで個人的に親身になれないのか、そのあたりのことはよくわからないです。

ただ、学校で徒競走の順位をつけないなど、わざわざ競争を無くさせるのは問題だと思います。
勉強でも競わせる、スポーツでも競わせる、音楽でも競わせる、技術・家庭などでも競わせる。
競争していいじゃないですか。
勉強で良い点を取ったら褒めてあげればいいし、ダメな子は「よし、頑張ろうね」と励まし、「どこがわからないの?」って教えてあげればいい。
負けた者がダメで、勝った者が良いという、その評価がいけないのです。

皆それぞれ競って、
「算数はダメだけれど、体育は一番だぞ」とか
「絵は俺が一番上手い」とか、
そういう子供ながらの希望……自慢できる、自信をもてるところをつくってやらないから、より非行に走っていくんじゃないでしょうか。
 

人は誰も皆、思いがけないところで、「生きていく希望」を見つけます。
「生きていく希望」とはたぶん、祈りを積み重ねていくうちに、どこかで気づくもの。

子供たちも、どこかで気づかせなければいけない。
「勉強しなくちゃいけないんだ」って、自分で気がつかなきゃやらない。
「これ以上悪いことをしてはいけない」と、どこかで気づき、自分で振り返ることが必要です。
そういう何て言うのか……「反転する力」というものは、「人智の及ばない力」への祈りによって培われるのだと思います。
教えてもらったこととか、言われたこととか、本で読んだことというような、外から入れた情報ではなく、自分で気づき、「あぁ、これでいいのだ」っていうふうに思えることが大事なのです。
 

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