円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

達磨大師と梁の武帝

昨日10月5日は、達摩忌(だるまき 禅宗初祖・達磨大師ご命日の法要)でした。

開山様(無学祖元 むがくそげん)の時代より遡ること数百年前、達磨様は中国へ渡られました。諸説ありますが、だいたい西暦520~30年くらいだろうと言われています。

インドでは、禅の考えは生きながらえないだろうと考えた達磨様は、梁(りょう 中国南北朝時代の王朝)へ行き、仏教を大事に保護していた武帝と会いました。

伝えられてきた話によると、武帝は達磨様にこう問うたそうです。
「私はお寺を建て、経典を流布せしめ、僧侶を大事にしてきた。どんな功徳があるか?」

達磨様は答えました。
「無功徳(むくどく)」
つまり、何のご利益も功徳もないよ、いいことなんかないのだよ……って言うのです。

武帝は、とてもがっかりする。
「じゃぁ自分のやっていることは何だ?」
一方の達磨様も、この人は仏教を信仰しているというが、ちっとも本当のことがわかっていないじゃないかと失望します。

さらに武帝は達磨に尋ねました。
「如何(いか)なるか是(こ)れ聖諦(しょうたい)第一義(だいいちぎ)」
仏教の一番大事なところはいったい何なのだ、それをひと言で言ってみてくれ、と。

達磨様は答えます。
「廓然無聖(かくねんむしょう)」

 
私たちが教わったところでは、
「からっと晴れ上がった大空のようなもの、青空がバーッと広がって、何の遮るものもない様子」を表現する言葉です。

しかしこれがまた、わからない。武帝はますます怒ってしまいます。武帝が今までやってきたこと、信じてきたことと、達磨様の答えや言っていることが、全然噛み合わないのです。

 
それまで仏教の教えは、ほとんどが中央アジアを通って(シルクロード経由)、もしくはインドからヒマラヤを越えて(チベット経由)、中国に伝わっていました。けれども達磨様は、南を回って中国に到りました。

私は学者ではないので詳細はわからないのですが、それまでの、シルクロードやチベットを経て伝わってきた仏教と、達磨様が伝えた禅という考え方とは、たぶん異次元のような違いがあったのだろうと思います。

武帝に見切りをつけた達磨様は、揚子江を渡って北へ行きます。
そして嵩山(すうざん)の少林寺というお寺に籠り、ひたすら坐禅を続けます。

禅の教えが生まれるに到るプロセスを辿ると、話がやや長くなってしまいますが…。
達磨忌にちなんで、引き続き明日も達磨様の話をしたいと思います。

達磨:生没年不詳。南インドの王子として生まれる。中国へ渡り、禅を伝えた。

 

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