円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

「生死一如」の世界

雲頂菴のホームページをリニューアルしてから、そろそろ1か月がたとうとしています。
初日にふれた「生死一如(しょうじいちにょ)」という言葉について、もう少しお話します。

 
仏教では、生も死も包みこんだ大自然の中で私たちが輪廻(りんね)を繰り返している、と考えています。「死」は、感情的にはとても悲しい、寂しいことです。
けれども、それは不幸なことではない。
当然起こるべきことが起こるだけのことなのです。

 
ただ、日頃からそういうことを学び、覚悟している人でも、やはり死を前にするとうろたえます。
死を受け止める側は、諦めきれない思いを抱えています。

 
私は住職として、そういう複雑な気持ちの方々が、「諦めざるを得ない」と思えるところくらいまでは、一緒に悲しみ、寄り添いたいと思っています。

ですから、お通夜や葬儀の場では特に、「生死」の本質的な話をします。

生死に関しては、自分が修行を深めてわかっていないと、人が納得するようには喋れません。自分の生の言葉で語れなければ、説得力はないのだと思います。

だから私たちの宗門では、修行を大事にしています。
修行によって、より深く、より確かなものを体得してゆくのです。
 

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