円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

悠然看南山(ゆうぜんとしてなんざんをみる)

今日は掛け軸についてのお話です。

 

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「悠然として南山を看る」
釈宗演 ※1/筆

こちらは陶淵明(とうえんめい)※2 の「飲酒」二十首、其五のうちの一節です。

「採菊東籬下」(きくをとうりのもとにとって)という上の句があり、対句になっています。
「南山を看(み)る」だけでは季節がわかりませんが、この上の句によって、秋の詩だとわかります。
生垣に生えている菊を摘みながら、悠然と山を見ている。
南山は、長安の南にそびえる終南山(しゅうなんざん)を指すようですが、特に限定しなくてもよいのです。
例えば、ここ雲頂菴ならば、富士山と言ってもよいでしょう。
「世の中にはいろいろ不安なことがあるけれど、まぁなるようになるさ」と、悟りを開いている。
ちょっと意訳し過ぎかもしれませんが……「もう大丈夫、悪いようにはならない」という心境かな。
陶淵明は、酒と菊を愛し、大自然を友とし、超俗脱塵の暮らしをしていました。
悠々自適とした心持ちを表しつつ、幾許(いくばく)かの物寂しさもはらんでいる詩です。
今回の陶淵明をはじめ、白楽天(はくらくてん)、蘇軾(そしょく)など中国の教養人は、当時の文化的な常識として、禅の考え方を踏まえて詩を詠んでいます。

禅のお坊さんは、自分で詩を作る方もいますけれど
「陶淵明の詩に、こういうふうに書いてありますよ」
「ここのところが肝心なのですよ」と、
禅的境地を詠った詩を引き当てて、今の気持ちを表現することもいたします。
そのような禅語についても、これから少しずつご紹介していきたいと思っています。

 
※1 釈宗演(1860年~1919年):明治、大正期の臨済宗の僧。円覚寺、建長寺の管長を兼任。禅学の鈴木大拙博士も弟子の一人で、共に「禅」を「ZEN」として海外布教の基を築いた。

※2 陶淵明(365年~427年):中国、六朝時代の東晋末から南朝宋初期の詩人。官職に就いたが官界の汚濁を嫌って辞任し、故郷へ戻った。自然を愛する田園生活を送り、日常の体験に即した詩文を多く残した。
 

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