円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

雲頂菴開山忌〈1〉

先週11月11日(火)は、雲頂菴の開山忌でした。

雲頂菴という寺自体、成り立ちが詳らかでないところがあり、どなたを初代住職とするかはたいへん難しいのです。
西暦1430年くらいにはかなり衰えていたので、寺勢が復活した1460年くらいの人を「開山」と位置づけてもよいのかもしれません。

しかし、鎌倉時代末期には寺が成立しており、幕府が滅びたとき、後醍醐天皇の綸旨によって旧領を安堵されていることから、その頃までは健全に維持されているとわかります。
こうした歴史を踏まえ、開山は空山円印(くうざんえんいん)と伝えられています。

空山円印については、当HPの雲頂菴についてを、雲頂菴の成り立ちについては歴史をご参照ください。

空山円印は、建長寺の開山である蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)に参じてその法を嗣いだ人です。
蘭渓道隆の流れをくむ人たちの組織を大覚派(だいかくは)というのですが、空山円印は北関東方面の重鎮で、雲頂菴はその拠点になっていたと推察されます。

この寺が、数百年の時代の波に洗われて今日なお残っているということは、鎌倉以外の地域にも勢力を伸ばし、それなりの影響力をもった歴史があるからだと思います。
(今、この大覚派の人たちのことを調べているのですが、北関東だけでなく関西の方にも進出しているようです)

今日、雲頂菴があるのは、開山様の努力、最初にこのお寺をつくりあげてくださった方々のお力があってこそのものです。
「恩は石に刻め、仇は水に流せ」といいますが、私たちは開山様のご恩を肝に命じ、ご命日には必ず丁寧に祭り事をしています。

 
明日も引き続き、開山忌の話をします。
 

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