円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

ホスピスで…〈1〉

毎年12月上旬、横須賀のホスピスでお話の会を開いています。
たしかもう、15年くらいのおつきあいになると思います。

私が親しくしていた歯科医の先生が、診療所を息子さんに譲られたあと、お年寄りのために出張治療を始められ、ホスピスにも行っていらした。
それで、「ご住職さん、あなたも坊さんなのだから、そこで苦しんでいる方々に、ちょっとお話してあげてよ」
と言われたのがきっかけです。

最初は、ホスピスの患者さんが相手だと思っていました。
ですが、患者さんは覚悟ができているから、むしろもう大丈夫だ、ということがわかってきた。
実は、ホスピスで肉親を亡くしたご家族の苦しみがね、すごく深いのですよ。
つまり、肉親にもっと生きていて欲しかったという思い。
「諦めないで、どうして病気と闘ってくれないの?」って。
自分に力がなく説得力が乏しかったから、ご主人がホスピスで逝ってしまった。けれども、本当は何とか助けてあげられたのではないか……というように、家族と本人の意識のギャップがあるのです。

近代医学の命題は、「延命」なのですね。
しかし、延命にそれほど価値があるのでしょうか?
そのような疑問を医者がもつことすら、「医者の敗北」とされる風潮があるようです。

宗教的にみたとき、「命」とはずっと繋いでゆくものだと考えます。
いつかは「死」という縁が結ばれているわけだから、それが今、近くにまで来ているというなら、無理に遠ざけなくてもよいのではないか。
命ある限りは精一杯頑張るけれども、「ここが限界だ」とみた時には、死を静かに受け入れる。
自分のもらっている命っていうのは、それでいいじゃないかと潔く諦めて次に譲る。

このような考え方が実は、現代の私たちが抱いている問題点の大きな解決の糸口になるのではないでしょうか。
そういう意味で、ホスピスの存在は、非常に大事な意味をもっているように思います。

 
この話は、来週も続けます。

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