円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

後醍醐天皇綸旨

今日は雲頂菴古文書をご紹介します。
雲頂菴には多数の貴重な中世古文書が伝わっています。
折にふれ紹介し解説を試みたいと思います。

後醍醐天皇綸旨 1 元弘3年9月2日

komonjo_20150126

拡大する 1

 

〔解説〕
後醍醐天皇(1288~1339)が、元弘3年(1333)2月付で雲頂菴領をこれまでどおり支配してよいと保証し承認(安堵・あんど)した文書(もんじょ)とつたえる。

後醍醐天皇は、鎌倉幕府滅亡後、鎌倉の社寺が所有する領地を安堵して、その保護につとめたので、鎌倉は大きな混乱はなく、安泰であった。
元弘3年頃の雲頂菴は健在であったことがわかる。

この文書は、現在寺に所蔵されていない。
内閣文庫の相州文書(円覚寺塔頭 坤)によりここに収載した。
なお、東京大学史料編纂所にも影写(えいしゃ)本《原本の文字を上から忠実になぞって手書きした本》の雲頂菴文書がある。
ただし、元弘3年9月頃の皇太后宮権大進某が奉じた後醍醐天皇綸旨(りんじ)は、静岡県浜松市の鴨江(かもえ)寺文書その他に数通つたわっているが、これらの文書とは花押(かおう)は全く別であり、また、文書の皇太后宮の下の文字は「権大進」とは読みがたい。
 

〔註〕
※1 綸旨(りんじ):「りんし」とも読む。
君主の言葉(綸言)を蔵人(くろうど)《天皇に近侍し、伝宣・進奏・儀式その他宮中の大小の雑事を司る役人》が受けて書いた文書をいう。

※2 天気(てんき):「天機」とも書く。
天子の気色(きしょく)。御意向・思し召し。

 

コメントはまだありません