円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

雲頂菴に伝わる古文書〈3〉

建武年間に描かれたと考えられる「円覚寺境内絵図」の左下方(円覚寺の西北隣)に、長勝寺の名が見えます。
その文字の少し上に「塔」と記されており、これが雲頂菴と考えられています。

※ 長勝寺については、当HPの「歴史」をご参照ください。

つまり、約700年前から今日まで同じ土地に所在し、ちゃんと維持し続けてきた。
それができたのは、「後醍醐天皇綸旨」が一つの大きなきっかけです。
このときにお国がちゃんと認めているということが、実はすごく大事なことなのです。

戦国大名などが「寺にこの土地を与える」と言ったって、その武将の力が落ちていけば当然、その土地は別な人の手に渡ってゆくわけです。
ですから雲頂菴も、外にあった荘園領地は皆失っています。
けれども後醍醐天皇の綸旨で認められたこの本拠地の所有権だけは、江戸時代になっても、明治時代になっても、ずっと認められてきました。

このような古文書をはじめとする多数の文化的資産や、緑豊かな環境を守ってきたお寺を今、私は預かっています。
国から任されているのですから、やはりそれにふさわしい形で維持して後世へ伝えていくことを軸に、寺の運営を考えないといけません。

山の手入れにこだわるのもやはり、寺に必要な環境として、私たちがお国から預かっていると考えるからです。
仏教を信じる人だけでなく、仏教徒でない人まで含めて、「お寺が残ったからこの環境が維持されてきたんだね、良かったね」って言ってもらえるように。
「寺がそこにあることで、地域の人たちも恩恵を受ける」という存在じゃなきゃいけないと思っています。

古文書を勉強したことで、「後醍醐天皇綸旨」という文書の重要性だけでなく、たいへんな責任をもたされていることに気づき、私自身すごく緊張感が高まりました。
 

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