円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

阿難(あなん)と阿那律(あなりつ)〈1〉

仏涅槃図(江戸時代)
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お釈迦様が亡くなる時、一番近い枕辺にいたのが阿難という弟子でした。
阿難は、お釈迦様が口も聞けなくなり、もう死んでしまわれるのだということがわかった瞬間、あまりのショックに気を失ってしまいます。
その阿難を抱きかかえ、「お前がしっかりしなくてどうする!」と励ましているのが、阿那律という弟子です。

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阿難も阿那律も、お釈迦様の十大弟子に数えられています。
 

実はお釈迦様が亡くなった時、阿難はまだ悟りを開いておらず、教えをちゃんと授かった弟子の仲間入りはできていませんでした。
しかしほどなく、お釈迦様の別の弟子によって悟りに導かれたといいます。

阿難は、お釈迦様にずっと随侍してそのお話を一番多く聞いていました。そこで「多聞(たもん)第一」の弟子であるとされます。
仏教の経典は、お釈迦様が書いたものではありません。
お釈迦様は生前、ご自分が悟り得た真実を、ただ淡々とお話しになっただけなのです。
そしてその死後、釈尊の教えを確認し合うために行われた結集(けつじゅう)で、
「お釈迦様が、祇園精舎ではこういう説法をした、竹林精舎ではこういう説法をした」と阿難が話し、
「そうだ、確かにそれは間違いない」と、その他の弟子たちが皆で記憶を整理することによって経典が成立していきました。

だから経文は、「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉で始まります。
「我(われ)是(かく)の如(ごと)く聞けり」。
「私はこの時こう聞いた」ということです。
つまり、もしこの経典に間違いがあるとすれば、聞いた私、あるいはそれを実際に書き留めた私の間違いで、お釈迦様の間違いではないのだ、と言っているのです。
 

――引き続き明日は、阿那律の話をします。
 

※十大弟子:舎利弗(しゃりほつ 智慧第一)/目犍連(もくけんれん 神通第一)/摩訶迦葉(まかかしょう 頭陀第一)/須菩提(しゅぼだい 解空第一)/富楼那(ふるな 説法第一)/迦旃延(かせんねん 論義第一)/阿那律(あなりつ 天眼第一)/優婆離(うばり 持律第一)/羅睺羅(らごら 密行第一)/阿難(あなん 多聞第一)
 

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