円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)

お命がいよいよ危なくなり、お釈迦様は話す力も失くしていました。
そこで、心の中が観えるという弟子の阿那律(あなりつ)が皆に、「お釈迦様は今、こういうふうに語りかけていますよ」と伝えます。

「かねて私が言ってきた通り、この死は肉体の死であって、心の死ではない」
「だから、恐れることはない。私は静かに極楽のお浄土へ渡って行く」
「何も心配することはない。どうかそれを肝に命じなさい」

「だけど、私がいなくなったら不安に思う者がいるかもしれない。不安になった時には、まず私の教えを思い出しなさい」
「それでもなお、不安になる時があるかもしれない。そのときは自らを灯明にしなさい」
 

迷いの世界を「無明(むみょう)」と言います。
つまり、真っ暗闇でどっちに行ったらいいかわからない、何が書いてあるかわからないという状態です。
その逆が「光明」です。

《自灯明》
追い詰められてギリギリのところでは、自分しか頼りになりません。
その時は、自らを明るい灯火(ともしび)にして照らしてみる。

《法灯明》
迷う時は、お釈迦様の教え…「法」を灯火とする。
その灯火で照らして見るべきは、仏像や仏舎利ではありません。
法そのものを支えとして生きてゆくのです。 
 

お釈迦様が息を引き取られたあともなお、その心は語ることを止めませんでした。

そういえば私は、父からこういう話を聞いたことがあります。
「息を引き取ったあとも、耳はまだ聞こえていて反応する。だからしっかり伝えたいことがあったら亡くなった人の耳元で声に出しなさいと、昔よく言ったものだ」

阿那律は皆のために、お釈迦様の言葉を解説し続けました。
 

――引き続き明日も、お釈迦様の最期の教えについてお話します。
 

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