円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

波多野景高代経貞軍忠状案

今日は雲頂菴古文書をご紹介します。
 

波多野景高代経貞軍忠状案 (文和元年3月)

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〔解説〕
波多野景高(はたの かげたか)の代りとして出陣した子息の佐藤経貞(つねさだ)が、武蔵国入間郡小手指原(こてさしはら)《埼玉県所沢市小手指町》合戦での軍功を注進し、その事実を証明する署名と花押(かおう)《書判・かきはん》を書き加えてもらうよう求めた文書。
足利尊氏の大将である畠山国清(はたけやま くにきよ)が証判を与えている。
ときに観応3年(正平7年/1352)3月。

なお、景高は3月12日に懐島(ふところじま)《茅ヶ崎市》から尊氏に供奉している。
これは、観応3年《文和元年3月11日、尊氏は観応の年号を復活した》3月、さきの新田義興挙兵で、尊氏はいったん鎌倉を放棄するが、その後、懐島で軍勢を整えて新田軍を攻撃し、再び鎌倉の地を回復したことをも意味する。

この文書は日付を欠くが小手指原の戦いは観応3年閏2月28日に行われているので、年月は明確である。
また、本文の前に「承了、在判」と記されているが、他の文書の分が残ったのであろう。
 

明日は、この古文書に出てくる言葉のご説明をいたします。
 

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