円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

雲頂菴と乱世の武将

先月末は、雲頂菴に伝わる「波多野景高代経貞軍忠状案」という古文書をご紹介しました。
2月24日にご説明しているように、「軍忠状(ぐんちゅうじょう)」というのは、武士が合戦の軍功を大将や軍奉行などに申し出て受けた証明文書のことです。

中世日本における武家社会は、御恩(主人が家臣に与える褒賞)と奉公(家臣の働き)という主従関係によって成り立っていました。
主人が軍事行動を起こすと、家臣は手勢を引き連れて戦地へ赴き、軍功をあげようと奮闘します。
その奉公に対し、主人は領地や地位などの恩賞で報いました。
 

雲頂菴に残された多数の中世古文書のうち、半分ぐらいを占めているのが、「著到状(ちゃくとうじょう)」です。
戦があった時、武将は、いの一番に戦地へ駆けつけようとします。
そして所定の場所へ馳せ参じて著到(着到)したことを、著到状という書面にして上申しました。

武将たちは、著到状の写しを必ず信頼できるお寺に預けました。
戦場ではたぶん、燃えたり紛失したりするおそれがあった。
それで自分の功労が認めてもらえなくなるといけないので、万が一の時にも、「この通り写しがあります」と示せるようにしたのだそうです。

室町時代中期以降の乱世は、非常に不安定な情勢でした。
おそらく、「雲頂菴なら、まあ一応安心できる。だからここに預けておこう」ということになったのでしょう。
 

当初私は、これらの著到状が雲頂菴の歴史にはほとんど関係ないように思っていました。
けれど、よく考えるうちに、「見方を変えたら、すごく重要なのではないか?」と気づいたのです。
このような書状が残っているのは、その頃、雲頂菴が繁栄していたということの表れなのではないか……つまり、基盤がしっかりしていたからこそ信頼され、預けられたのではないだろうか。

そしてまた、当時、雲頂菴の後ろ盾になっていた長尾一族の著到状が多いことから、その勢力や活躍も裏付けられるように思います。

※ 長尾氏については、当HPの「歴史」をご参照ください。
 

――引き続き明日も、古文書の話をします。
 

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