円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

「畏れ」を抱く心〈2〉

コンビニができ、社会が24時間動いて昼と夜の区別がほとんど無くなってしまいました。
さらにメールやSNSといった通信手段が発達し、過激な漫画やゲーム、映像などがメディアを通じて流されています。
精神性に触れる部分を人間が自ら滅却し、悪い方向にしか導いていない気がします。

「生命を脅かすようなことは、畏れ多くてできない」という、畏れを抱かせてくれるものが、今の社会には無い。
人の命というものを、そもそも現実として認識していない。
「ここから先は、やっちゃいけない」という畏れは、普通は本能的に働くのだと思います。
しかし、心を耕されてこなかった子供たちの中には、そのような「畏れ」の感覚が無くなってきています。

「畏れ」を抱く体験なり、風潮なり……社会として元来もっていた力が働かなくなっている。
それは、取りも直さず我々が、そういう力を奪っている。自ら消しているのですよね。
度を越えたことをしてしまうのはたぶん、その「度」というものがわからなくなっているのではないでしょうか。
だからこそ、もっともっと子供たちに対する精神的なアプローチが必要なのだと思います。
 

――引き続き明日も、この話をします。
 

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