円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

「畏れ」を抱く心〈3〉

「命の大切さを教えなければいけない」と、よく教育関係者は言います。
けれども、「命は大事なのですよ」と子供たちに教えたところで、言葉では聞いても、現実的ではないと思うのです。
そういう言葉だけの教育ではたぶん、ほとんど意味をなさないのではないでしょうか。
これは教育現場で教えられることではない。宗教的な、精神性の深い問題です。

例えば……さっきまで生きていたおじいちゃんが、息絶えて横たわっている。
そういう現実を経験する、お通夜やお葬式のような場がとても大事なのです。
子供たち、あるいはそれまで死を身近に経験できなかった大人たちが唖然としている時、寺のお坊さん、もしくは教会の神父さんや牧師さんといった宗教者が一緒に寄り添って、どういう受け止め方をすればよいのか助言し、「死とはこういうものなのだよ」と話すことが、実はとても大事なことなのです。
お通夜やお葬式をやる意味は、まさにそこなのだと私は思っています。

家庭なり学校なりが、多感な時期の子供たちを、神や仏のような「人智の及ばない力」を感じる場に連れて行く。
そして「恐怖」ではなく「畏れ」を、子供たちが自分で感じとることが大切だと思います。
 

コメントはまだありません