円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

漱石の小説〈1〉

円覚寺に来て坐禅をしてみても、夏目漱石は結局、何もわかりませんでした。
けれど、「わからない」と言いながらも、そこそこのことはちゃんと理解し、帰ってまた勉強したり取材したりしています。
円覚寺で世話になった帰源院の和尚と、漱石はその後も文通を続けているのです。
 

明治38年(1905)に発表された『吾輩は猫である』に、猫の主人である苦沙弥(くしゃみ)先生が、亡くなった友人の墓碑銘を書くという一節が出てきます。

「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋を食い、鼻汁(はな)を垂(た)らす人である」
と、主人は一気呵成(いっきかせい)に書き流します。
しかし、「鼻汁を垂らすのは、ちと酷(こく)だから消そう」
などと言いながら結局、「空間に生まれ、空間を究(きわ)め、空間に死す。空たり間たり天然居士噫(ああ)」と書き直しています。

「天然居士」とは、漱石が思いついて書いている人物ではありません。
漱石の友人で、やはり円覚寺に来ていた米山保三郎(よねやまやすさぶろう)の居士号なのです。
米山は、今北洪川(いまきたこうせん)※老師から「お前は本当に凄い」と言われ、この号を与えられました。
「天然居士」の名が示す通り、生まれつき本当に頭が良く、東京帝国大学大学院で「空間論」を研究していました。
けれども、世の面(おもて)には出て来ず、社会から見れば隠遁生活をしているような人だったそうです。
 

――引き続き明日も、この話をします。
 

※ 今北洪川(1816~1892):幕末・明治期の臨済宗の僧。号は洪川、虚舟、蒼竜窟。
円覚寺派初代管長。在家者の居士(こじ)禅を盛んにし、のちに弟子の釈宗演や鈴木大拙らによって開かれた新しい時代の禅の基礎を固めた。

 

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