円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

豊かになった世の中で〈3〉

小学校の4年から6年までの3年間は、寺の中で私が朝の飯炊きをやっていました。
前の晩、母がかまどに釜を掛けておいてくれて、翌朝、私がご飯を炊く。
炊き上げたら、その火で湯釜の湯を沸かしておくところまでが、私の仕事でした。

かまどに火をつけるため、日頃から焚きつけの準備をしておかなければなりません。
その頃は、紙がそんなにふんだんに無かった。
新聞の広告も、必ず裏はメモに使っていました。
燃やしていい紙なんて、そうやたらに無かったわけです。
だから、風が吹いたら境内で杉っ葉を拾い、炭俵につめていました。
また、筋のいい杉の薪などがあると、鉈(なた)で細かく割って、割り箸みたいにしていました。
普段から、すぐ火がつくようなものを準備しておく。
そういうことにいつも気を遣っていなければ、朝のご飯が炊けないのです。

それが今は、ボタン一つでできます。
そして、無洗米という米まであります。

現在の若者たちは、あらゆるものが満ち溢れた中に生まれ育っています。
物質的に、あるいは機能的に、今こんなに便利になって、いったいこれからの若い人たちは、どこに何を求めていくのでしょうか。

彼らに対し、人生で先を行っている私たち大人が、ちゃんとした道標(みちしるべ)を残さなければいけないのです。
 

――引き続き明日も、この話をします。
 

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