円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

祈りが心の芯となる〈1〉

自分や家族のことで思うようにいかないことが起きた時、まわりの人が、その不安な心をくすぐってきたり、キュッと突いてきたりすることがあります。

不安な心をいじられて揺さぶられると、ますますその不安は増幅します。
でも、人に揺さぶられるというのは、心の中に「自分はこれでいいのだ」という芯が通っていないことの表れなのです。

ではその芯は、どこで培(つちか)われてくるのでしょうか?

私は、「祈り」が培ってゆくのだと思っています。
「祈ってどうなるの?」って言われたら……わからないです。
わからないけれど、ある時「あぁ、これでいいのだ」と気づくのです。
祈りをちゃんと重ねている人は、ある時、どこかで気がつく。
どこで気づくかわかりません。
「あっ」と気がついて、「これでいいのだ」「自分はこうなのだな」「散々迷ったけれど、これでいい」っていうふうに気づくのです。

その気づきは、人から教わったり、勉強したり、テレビで見たり、本で読んだりして外から中に入れた情報ではない。
自分の中から湧き上がってくるものです。

人生の価値観がガラッと変わってしまうような大きな気づきもあります。
けれどもほとんどが、小さな気づきです。
小さな気づきが積み重なって、自分の中で芯となってゆきます。
 

——引き続き明日も、この話をします。
 

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