円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

一生は「夢」

大徳寺の住持を務めたこともある沢庵(たくあん)和尚が、その死に際、弟子たちへ最期に遺した言葉は「」だったと言われています。
「わしの一生は夢だ。夢醒(さ)めて、元に戻れる。死というのは、そういうものだ」と。

我々のような迷える凡夫(ぼんぷ)は、人として生きているこの世が現実だと思っています。
そして、
「この現実を離れて、いったい何があるの?」
「死んだら一巻(いっかん)の終わり」
などと、思っています。

しかし、
「実は、ここは仮の世である」
「死を迎えることによって、やっと夢が醒め、真実の世界へ行くことができる」
冷静に真実の眼(まなこ)でこの世界を観る人たちは、そういう受け止め方をしています。

肉体が朽ちていく「死」は、感情的にはとても悲しい、寂しいことです。
けれどもそれは、不幸なことではない。
当然起こるべきことが、起こるだけのことです。

死んだあとも、どこにも行かず、ちゃんと同じ世界にいるのです。
どんな形でどこにいるかは誰にもわかりません。
「生きている」とか「死ぬ」とか……条件が変わるから、形が変わります。
だけどその人の本質(仏心 ぶっしん)は、何らかの形で変わりなく存在し続けているはずです。
 

※ 沢庵(1573〜1645):江戸時代初期の臨済宗の僧。名は宗彭(そうほう)。但馬(たじま 兵庫県北部)国の人。
 

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