円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

白雲抱幽石(はくうんゆうせきをいだく)

今日は掛け軸についてのお話です。

「白雲抱幽石」
朝比奈宗源(あさひなそうげん)/筆

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ここ雲頂菴からは、富士山が見えます。
梅雨が明けた暑い夏の頃、たまに富士山がパッと見える時があります。
その富士山にのしかかるような白い夏雲。
雲が山を抱いているのか、山が雲を抱いているのか。
とにかく雲が富士山を引き立て、富士山がまた雲を引き立てている。
「白雲抱幽石」という句を見ると、気持ちをホッとさせる力強くて雄大な情景を感じます。
 

この句の出典は、『寒山(かんざん)詩集』とされています。

重巌我卜居 鳥道絶人迹
庭際何所有 白雲抱幽石
住茲凡幾年 屡見春冬易
寄語鐘鼎家 虚名定無益

詩の大意は……
ごつごつと連なる岩山の中に私は居を定めた。
鳥だけが通うような道で、人は足を踏み入れない。
庭の向こうに何があるかといえば、そそり立つ幽寂な石と、それを抱く白雲だけである。
私がここに住むようになっておよそ幾年たつのだろうか。
しばしば春から冬へと移り変る季節を見てきた。
(精神的に豊かで、とらわれのない暮らしをしているその体験から)富貴を誇る世の人々に一言申し上げたい。
あなた方の名声は虚しく無益なものである。
 

寒山(かんざん)は、詩禅一如の生活を送ったという中国・唐代の伝説的な詩僧です。
天台山国清寺(こくせいじ)に居たとされる拾得(じっとく)とともに「寒山拾得」と並び称され、後世、禅画や文芸、芸能の題材となったことでよく知られています。

白雲が深々と幽石を包みこんでいる景観を思い浮かべてみてください。
俗塵(ぞくじん)を離れて閑居を楽しむ隠棲者(いんせいしゃ)の、静寂な侘(わ)び住まいが偲ばれます。
出典を見て、こういう詩の中の一節として読むと、またちょっと違う味わいがあるのだなと感じます。

この「白雲抱幽石」という句は、中国の南朝、宋(そう)の詩人である謝霊運(しゃれいうん)の「過始寧墅」 —始寧(しねい)の墅(しょ)を過(よぎ)りて— と題する詩の中にも見られます。
 

私がこの「軸のはなし」で挙げている禅語のほとんどは、大自然の営みを切り取ったような詩の一句です。禅の立場では、深い大自然の中、皆がお釈迦様の悟り(真理)に包まれているのだっていうふうにも見るわけです。

寒山、あるいは杜甫(とほ)でも李白(りはく)でもそうだけれど、人の心を打つような歌というのは、心情を映し出すだけでなく、大自然の中に「生かされている自分」を見出だして詠まれているように思います。
 

※ 朝比奈宗源(1891〜1979):明治、大正、昭和期の臨済宗の僧。号は別峰(べっぽう)、平等軒。京都妙心寺や鎌倉円覚寺などで修行。臨済宗円覚寺派管長。世界連邦日本仏教徒協議会会長。また、人気テレビ時代劇に題字を揮毫したことでも知られる。
 

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