円覚寺 塔頭 雲頂菴

菴主の話

雲頂菴という寺を守る住職として、日々考えていることをお話していきます。

誠拙周樗(大用国師)

先週の「軸のはなし」で、誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)の書画をご紹介しました。
世間ではあまり名前を知られていませんが、臨済宗の第二の祖と言ってもいいぐらいの功績を遺した人です。
円覚寺の公式ホームページに、[大用国師二百年・釈宗演老師百年 大遠諱]というバナーが出ています。
そちらをクリックしていただくと、誠拙周樗がどのような人物だったのか、概略が載っています。

大正8年(1919)の一百年遠諱(おんき)に、誠拙は「大用国師(だいゆうこくし)」という国師号を賜っています。
そして4年後の平成31年(2019)、二百年遠諱を迎えます。
 

この方は、非常に天才肌の人でした。
書に秀で、絵も上手かった。
これは聞いた話だから本当かどうかよくわからないのだけれども、夢窓疎石(むそうそせき・円覚寺15世住持)の字を臨書(りんしょ)し、そっくりの字を書いていたという。

当時、形ばかりになっていた修行道場のシステムを再構築し、「円覚寺中興の祖」と呼ばれている人物なのですが、同時に書の伝承も、絵の伝承もしたい……という人だったのではないかな、と私は思います。
つまり、坐禅堂をつくるのも、書画を学ぶということも、結局、「伝承」なのです。
禅の一番大事なところというのは、最終的にやはり形に出てくる。
書もまた、教えを形にする「心の展開図」です。
そのことをよくわかっていた人だから当然、臨書をやっていたでしょう。
自分の字なのだけれども、夢窓疎石の字に似ている。
そして夢窓疎石の字は、なんといっても円覚寺の開山である無学祖元(むがくそげん)の字に似ている。
 

誠拙は、書画だけでなく詩偈や茶事も行い人望も厚かったので、出雲松江藩主の松平治郷(はるさと・不昧公)をはじめ、さまざまな文化人とも親交があったようです。
しかし、権力に近寄ることはありませんでした。

豊かで平和な時代に出現し、さまざまな苦境を乗り越えたという点からも、今の私たちにとって一番見本になる人ではないか。
誠拙周樗(大用国師)のことは、もっと皆さんに伝えていかなければいけないと思っています。
 


 

※ 臨書:名跡・名筆とよばれる手本を傍らに置き、その字形、筆使い、字配り、全体の気分などを熟覧しながら丁寧にまねて書写すること。
 

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